設置までの経緯 こちらは移転前のものになりますのでご了承ください。移転先情報はこちら

2011年5月に「あいのて」が初めて南三陸町の物資支援チームに参加させて頂いてから数か月、南三陸町を訪れる事や滞在する機会が増えたことで、報道では知る事の出来ない様々な問題を知るようになりました。中でも、津波の被害により宿泊施設や民家、商業施設などがほとんど流出してしまった南三陸町では、仲間同士で気軽に集まったり、町内に拠点を置き腰を据えて活動することが容易ではない為、早急に人の集まれる場所や支援者の活動拠点となる建物の設置が課題となっていました。

ある時、南三陸町と深い関わりのある方々により、町内に復興支援団体を設立しようという計画がありました。「あいのて」では、そこの事務局を担当してい欲しいという事で、ボランティアの宿泊や物資倉庫、コミュニティルームなどを併設させた施設の設置、運営、活用の計画を行いました。「太陽村」の原型にもなっているこの計画には町民と支援者が協働し、様々な問題を解決する為の策を練り込んでおりましたが、スタート直前で取り止めという事になってしまいました。


その後、物資支援により集落内での仲違いなどのトラブルが発生していることで、物資支援はもうやめた方が良いのではないかという個人的な考えもあったのと、物資支援以外の支援も必要になってきているということから、「あいのて」では物資支援チームの活動を継続する者と、その他の活動を行う者とに分かれ、2011年10月から、休業中のホテルの1室をお借りし「あいのて東北支部」を立ち上げ、町内全域に渡り町民や町内で活動している支援者(団体)などへのリサーチ行いました。


リサーチには、今までの活動で知り合いになった方から紹介して頂いたり、時には商店や飲食店、道行く人に直接声をかけてみたりもしました。また、エバラ食品工業様の協力により、炊き出しを行う事が出来ましたので、仮設住宅や行政区、商店街などに協力を仰ぎ、多くの方が集まりやすい環境を作りながらのリサーチも行いました。


その当時は、集会所がまだ設置されていない仮設住宅があったり、気温が下がり支援団体の撤退やボランティアの数の減少も目立っていましたので、施設の必要性は以前よりも高まっていました。


ただ問題は、施設の設置にはまとまった資金が必要な事でした。物資支援の時に助成金の申請をした事がありましたが、その時はまだ後方支援ということで、地元千葉県野田市の事務所で落ち着いた申請作業をすることが出来ました。しかし、今回は状況が違います。申請額や申請内容も多くなり、右も左もわからない土地、何処に見積もりをして貰ったらいいか、何が可能で何が不可能なのか、全く先が見えない状態だったので、こんな環境では助成金の申請なんか出来ないと思っていました。

そんな状況でしたので、しばらくは助成金の申請は行わず、なんとか協力者や資金提供者を探しだそうと、他の地域の支援者のミーティングに参加したり、中間支援団体の方に相談したりといった行動を行っていました。最初はほとんどの方に施設の設置に賛同していただけ、協力する、支援者をあたってみるなどの返事を頂くことができたのですが、最終的には、具体的な資料が欲しい、企画書は無いのかという所に至ってしまいました。

「何かしらの書面は作らなければならない。」結局結論はそこにたどり着くしかなかったようでした。


それからは、昼間はリサーチや支援活動、夜は書面作りという日々が続き、ようやく形になったかと思うと、今度は待てど暮らせど返事が返ってきませんでした。「協力するから」「募金するから」という言葉をあてにしすぎていたのかもしれませんが、年が明けたその頃、世間では既に震災への関心が薄くなってきている事にも気づくべきだったのです。それならもう腹をくくって助成金の申請をするしかないと思い、「赤い羽共同募金 ボランティアサポート」への申請をすることにしました。


まず、千葉の事務所のパソコンを遠隔操作出来るように設定しました。これで南三陸町からいつでも必要なデータを取り出せるようになり、検索や閲覧は千葉のパソコン、文書の作成は南三陸町のパソコンと言う風に、同時に2台のパソコンで作業が行えます。そして、事務作業に必要な物を全て南三陸町に持ち込みました。現地に居ながら本部とほぼ同じ事務所環境を整えたわけです。


申請期限は1月末、約1か月で頭の中にある事を文章にしたり、予算の計画を立てなければなりません。限られた予算の中で最大限の効果を生み出す為には、専門的な設備や備品の価格調査や施工技術なども検索したり修得する必要がありましたが、期限日に近い頃、ようやく申請手続きを終わらす事が出来ました。


結果は4月になるということでした。これが採択されなければ、次の申請まで滞在できる経済的な余力も無かったので、南三陸町への滞在は1年間の活動を以って終了しようと思っていました。3月11日を見届け、お世話になった南三陸町の方々へ挨拶をすると丁度それくらいの時期になります。


トラウマまではいきませんが、今までの状況や「赤い羽」は厳しいという話もあったので、採択されるという感触はあまりありませんでした。逆に、採択されればもう後には引けません。炊出しやイベントなどの活動を行いつつも、結果の通知が来るまでは不安な日々が続きました。


4月になり、正式な結果は郵送でという事でしたが、その前にネットで結果が参照できるということで、恐る恐る見てみると、採択団体の中に、「あいのて」の文字がありました。これから大きな山に向かっていく、その先に南三陸町の人々の笑顔が待っている。そんな感覚を覚えました。

結果をメンバーや町内の関係者に報告し、早急に手配しなければならない事を済ませ、千葉の事務所に戻ると、結果の通知は4月5日付で届いていました。家族にも「もうしばらく南三陸町への支援活動を続ける」と伝え、再び南三陸町へ向かいました。




ここまでお世話になった、物資支援チームの方々をはじめ、南三陸町の方々、協力頂いた支援団体やボランティアの皆さん。
本当ににありがとうございました。






その後の経緯については「設置奮闘記」をご参照ください。

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